2015年1月25日日曜日

戸塚ジュニアヨットスクールー幼児教育活動ー


戸塚ジュニアヨットスクール活動。

―幼児教育の重要性について。―

 

 ジュニアスクール教育活動。
  問題児更生施設として有名な戸塚ヨットスクールですが、平成23年7月から普通児(幼児・小学生)を対象にしたジュニアスクール教育活動に力を入れております。これは、3歳から8歳までの間に重要な能力を創ることができ、その時期を過ぎてしまうと手遅れであるという戸塚ヨットスクール37年間の結論によるものです。
  重要な能力の中でも、ジュニアスクールでは進歩する能力を創ることを目的としております。教育の目的は独立(自立・自律)でありますが、そのためにはヒトから人間へ進歩する必要があります。実際に、日本では若年無業者(15歳~34歳で家事も通学もしていない者)は増加し続けており、彼等は独立出来ないでいる点が根本的問題であります。そして彼等は進歩を実感できないために、無気力で生きることになっているのです。

 

 「安詳恭敬」の実践。
  進歩する能力を創る方法としまして、朱子『小学』の「安詳恭敬」をジュニアスクールでは実践しております。
  「安詳」とは、安定すれば一所懸命になれる。一所懸命になれば安定するという意味です。「恭敬」とは、他者と自分の差を知り、恥を感じます。その不快感によって行動することを言います。そして「安詳恭敬」は、幼少期に経験し、身に付けておく必要があると『小学』に言います。
  孟子は「浩然の気」(本能)を養うことが肝要であると説きました。ジュニアスクールでは、第一次反抗期を向かえた3歳児から、ウインドサーフィンを用いて本能を鍛えます。海という自然は人間を一所懸命にさせてくれます。厳しい環境下で一所懸命になる訓練をしますと意志力が鍛えられ、心身一如であるから肉体的にも精神的にも安定することを実感し、恐怖に立ち向い、建設的行動をするようになるのです。ウインドサーフィンを走らせることは難しく、失敗を繰り返すことになり、自然の畏れと自分の至らなさを感じることになります。しかし繰り返し訓練した結果、成功することになり、達成感という幸福を子供達は感じ、自尊心を高めることになるのです。
  要するに、一所懸命になって頑張る経験を本能的に生きる幼児期‐理性脳と呼ばれる大脳新皮質よりも、原始脳である大脳辺縁系が優位に働く時期‐に積んでおくことが大事なのです。

 

 困難への対処。
  戸塚ヨットスクールに所謂問題児として入校してくる生徒達の多くは、「進歩」の能力を創り損なった者であります。家庭環境を見ますと、総じて過保護の環境下で幼少期を過ごしていたか、母親による過干渉によって幼少期を過ごしてきた者ですが、彼等は困難に対処できず、弱さが課題であることが分かります。
  彼等のヨット訓練を見れば一目瞭然です。風が強くなり、波が立つといった外的環境が厳しくなりますと、パニックになってしまい、身体は固まり、下を見て丸まってしまうのです。中には癇癪を起してしまう生徒もいました。そして沖に流されてしまっても、ただ助けを待っているのです。
  その様な依存心が強く、弱い彼等でありますが、自分の実力を認めることはせずに虚栄を張ります。他者から学ばず、反省しないために同じ失敗を繰り返すことになるのです。要するに、高慢さは進歩を阻害するものであると言えます。
  精神分析家のローゼンツヴァイクは欲求阻止状態に耐える力が強い人を「フラストレーション耐性」があると定義し、動物行動学者の権威コンラート・ローレンツは「ノン・フラストレーション」が現代人において増加していることを問題視しました。
  「孟母三遷」の教えは有名ですが、善き環境が子供を進歩させてくれます。厳しい環境‐質の高い不快感‐にも慣れさせ、フラストレーションに強い精神力をもった大人にすることが我々の使命であると考えております。

 

 戦後日本教育批判。
  ジュニアスクールでは、コーチが強制力を用いて、子供達にフラストレーション(欲求不満)=不快感を与える教育を実践しておりますが、これは昨今の教育観とは正反対であります。昨今の教育では、子供の欠点を改めさせず、「個性」だと勘違いして闇雲に褒めることを推奨し、子供が苦を感じていると「かわいそうだ」という理由で親や教師はすぐに手を差し伸べ、助けてしまいます。叱る教育を悪と考え、子供に体罰を加えることは以ての外で、怒鳴ることも指導力不足であるとレッテルを貼ります。
  確かに、独立した大人であれば、強制されなくてもスキルアップのために自ら目標設定をして、辛さを乗り越えるための行動をすることが出来ます。しかし、自立・自制の能力を創っている時期にある子供の場合は、「もう限界」と弱音を吐き、目の前の苦から逃げることがあります。その際に、「子供の自主性を尊重する」等と言って子供を助けてしまいますと、能力を創らないままに成長してしまいます。これが昨今問題になっております、「アスペルガー症候群」「学習障害」(LD)「注意欠陥多動性障害」(ADHD)に代表される「大人の発達障害」者であると感じるのです。吉田松陰の言葉にもあります。
  「能はざるに非ざるなり、為さざるなり。」(できない‐能力がない‐のではない、やらない‐能力を創らない‐のだ。)
  その根底には、女性思想が昨今の教育を支配しているからであると考えます。そもそも女性は、教育に適しておらず養護する能力に長けております。つまり、女性は母性愛から子供の今を守り、助けようとします。しかし男は、子供が将来大人になっても困らないように教育をします。これが男女の「愛」の違いであり、養護と教育が子供の環境に必要であるのは勿論ですが、教育は男の戦略的思考によって行わなくてはならないのです。
  すなわち、過保護や過干渉の教育思想の下では、緊張感をもって事に当たることがないため一所懸命になる機会に乏しく、忍耐力も養われないために耐性力が付かずに打たれ弱く、そして困難を自らの力で乗り越える経験をすることがないために自尊感情に乏しい。したがって、子供を甘やかし、若しくは子供をペット化する環境下では、子供の独立心を創らせないことを意味するのです。
  本来大人‐特に男‐は、子供が将来様々な苦難や環境の変化にも対応することの出来る力(生きる力)を身に付けさせておく責任があるのですが、それを放棄しているのが現状なのです。

 

 合宿生活の意義。
  戸塚ヨットスクールの大きな特徴は、海という自然を利用する点ですが、もう一点は合宿生活を送ることにあります。
  ジュニアスクール参加の子供達は、初めて親と離れ、自分が大事に扱われない経験をすることになります。子供世界の中で助けてくれる大人は存在せず、喧嘩・いじめ等を自分で解決しなくてはならない環境下に置かれます。合宿生活では、個人が集団の一員であることを自覚し、秩序や協調性を学び、自分の欠点を改めることになります。
  通常、人間は家族、学校、職場、スポーツクラブ、サークル等の集団に属しており、人間関係から逃れることは出来ず、集団生活から切り離すことのできない社会的存在であります。幼児の場合、家族、幼稚園、地域の公園と範囲は限られておりますが、次第に社会は広がり、多くの集団に属するようになります。そして広がった社会では、自分という存在は特別なものではないため、チヤホヤされることはありません。
  北宋の儒者伊川先生(程頤)は「人に三不幸あり」と言い、その一つに「少年にして高科に登ること」であると言いました。要するに、子供をチヤホヤするなという教えであります。また、歴史家ホイジンガも「繁栄した国は、若者を決して甘やかしたり、持て囃したりすることはなかった。年長者には服従と尊敬を徹底させていた。」と分析しております。
  合宿生活では、幼児期から人間関係と厳しい現実社会に慣れさせ、コミュニケーション能力を培うことに目的があるのです。

 

 歴史に学ぶ教育実践。
  戸塚ヨットスクールでは伝統と歴史に学び、且つ科学的な教育を実践しております。
  江戸時代の教育は大いに参考になります。貝原益軒は、「三分の飢えと寒」という幼児期の鍛錬が後の人格形成の基礎になると説きました。中江藤樹も幼児期教育の重要性を説いております。子供の苦労を可哀想に思い、その苦を取り除き、子供の言いなりになるその場しのぎの親を「姑息の愛」(舐犢の愛=牛が子供を舐めて育てるのと同じ)と批判しました。諺にも「可愛い子には旅をさせよ」という教えがありますが、昨今では子離れできない親が、子供の独立を妨げております。また、福沢諭吉も「幼少期の習慣は容易に矯め直しが出来ないものであるから、善き習慣を身に付けさせることが大事である。」と言っているのです。
  最近では、欧米の研究者が幼児期における努力の重要性を証明しております。幼児期に「何でも出来る子ね」と称賛され、挫折を味わうことなく成長した場合、中学生頃から困難の際には脆弱さが露呈し、挑戦する意志力に乏しく、虚栄心が強く欠点を認めない傾向にあるとスタンフォード大学のドゥウェック教授等は明らかにしております。そして、能力とは天賦によるものではなく、幼児期のたゆまぬ努力によって創るものであると結論付けているのです。
  勿論、子供に苦を与えるだけでは虐待であります。杉本鉞子『武士の娘』に記載されている寒九の習字稽古は具体的で参考にすべきですが、厳しい環境を大人が目的をもって与え、しかしその修練(教育)が済むと、子供を包み込む優しさ(養護)を有しておりました。子供の進歩のために苦を与える教育実践であります。

 

 「泣く子は育つ。」
  ジュニアスクールにおいて子供達は涙を流すことになります。恐怖による涙だけでなく、悔し涙や嬉し涙をも流すことになります。そうした子供達を見てきて、「大泣きした子供が最も進歩する。」ということが分かりました。それ故に、「大泣きには、恐怖を浄化させる作用があるのではないか。」と校長は推測し、「子供の進歩のためには大泣きさせてあげることだ。」と考えるようになりました。
  最近の研究では、涙の効果が明らかになってきております。涙は、交感神経系(激しい活動の際に活発化し、心拍数や血圧を上昇させる)が優位になった時に流れると考えられております。そして涙を流すと副交感神経系が優位になり、血管を広げるため血流が良くなり精神を安定(リラックス状態)させることになるのです。また、涙を流した結果、ストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールを低下させることも分かっております。脳内では、モルヒネ作用をもちストレスを和らげるロイシン・エンケファリンという脳内麻薬物質の分泌を促すことも分かっております。そして、セロトニン(三大神経伝達物質)を活発化させるため、ヤル気も出るといった涙の効果が明らかになっております。
  ジュニアスクール参加の子供達は、寒い日も強風の日も訓練させられ、校長・コーチからは、「泣いても行動しろ!」と命令される厳しい合宿生活を送ることになります。特に、難しいウインドサーフィン訓練において初参加の幼児を見ますと、全員が海に入った途端に「怖い!」「寒い!」「痛い!」「もう止めたい!」と泣き叫び、訓練を拒否します。しかし、初日で大泣きし、泣いても許されないことが分かると、翌日からはウインドサーフィン訓練に励むようになるのです。初日は、海という圧倒的な恐怖の前に泣き叫びましたが、命に別状はないことも分かり、指導を受けた通りに行動しようと努力するのです。そこが、本能的に生きる‐一所懸命になる‐子供の強みであります。本能的に生きる子供の場合、気持ちの切り替えが早いため、驚くほど進歩が早いのです。大人が三日練習しても出来ない技術を数時間で成功させてしまうのです。泣けば嫌なことはしないで許されていた赤ん坊(ヒト)から、嫌なことにも頑張らなくてはいけないという独立(人間)へ向けた通過儀礼を経験したと考えられます。そして、ジュニアスクール参加の子供達は「難事があっても頑張って行動し続けた結果、成功する」という進歩の法則を体験するため、大泣きした子供達は今では頑張っているのです。 

 

 幼児教育の重要性について。
  第一次反抗期(2歳半~3)から人間特有の「進歩」が伴うと校長は分析しており、その時期から教育が必要になります。これまでの「養護」(女性による「今を守る愛」)に加えて、「教育」(男性による「戦略的な愛」)が必要になるのです。
  しかしながらその重要な時期に、昨今の日本の子供達は、男の教育を受ける機会に乏しいです。幼稚園や保育園は女性の仕事になっております。家庭を見ましても、父親が教育に参加せず、母親に総てを任せているのが現状です。小学校に入学してからも、尾木直樹氏や日教組に代表される女性的思考による教育思想が支配しております。
  子供を褒め、煽てて支配しようとし、子供が喧嘩をするとすぐに仲裁に入り裁決を下し、言葉で説得します。その結果、子供にも言い分があれば注意を受けずに済むために、狡賢くなり、行動が伴わずに口だけ達者な子になってしまうのであります。昨今の子供達の口癖は注意されると、即座に「だって・・・」「でも・・・」です。
  然るに、戸塚ジュニアヨットスクールの早期教育とは、理性を発達させるための教育ではなく、本能を鍛える点に特徴があるのです。

 


「ういんど 第29号」(平成263月吉日、戸塚ヨットスクールを支援する会発行)に加筆、編集を加えました。

文責筆者.川本宇天